両角速監督は、2011年から東海大学駅伝部を支えてきました。
両角速監督が無能だという噂があるのですが、どうしてなのでしょうか?
これまでの経歴や指導法が気になりますね。
また、両角速監督の嫁や、陸上選手だという息子についても気になります。
両角速監督が無能だと言われる理由や経歴、指導法について
嫁や息子、家族について
詳しく調べてみました!
目次
両角速監督が無能と言われるのはなぜ?
両角速(もろずみはやし)監督は、東海大学に来る前は、
長野県佐久長聖高校駅伝部の監督でした。
両角速監督は、全く無名だった佐久長聖高校駅伝部で日本高校記録を更新するランナーを育て、
中学全国大会上位入賞者が進学を希望するほどの長距離陸上競技の名門校に育て上げたという実績を持っています。
ではなぜ「無能」だと言われるのか?
それは、2011年に東海大学駅伝部監督就任直後、険しい道が待っていたことにあります。
両角速監督が東海大学駅伝部に就任した1年目、
佐久長聖高校時代の教え子でエースだった村澤明伸選手が不調だったこともあり、全日本大学駅伝と箱根駅伝のシード権を逃してしまいました。
そして、就任2年目の2012年は、箱根駅伝の予選会で敗れてしまい、本選への出場を逃してしまったんです。
それまで東海大学は箱根駅伝に40回連続で出場していました。
両角速監督が東海大学の駅伝部の監督になってから駅伝部の成績が落ち、
箱根駅伝連続出場記録も「40」で途切れてしまったことから、
両角速監督を「無能」と批判する声が出てきたんですね。
佐久長聖高監督時代に残した実績が圧倒的だった分、その反動の大きさとも言えるのではないでしょうか。
しかし、両角速監督はその後も監督として選手を指導し続けています。
本当に無能だと判断されたのなら、監督を続けていくことはできないはずですよね。
2018年は、日本陸上競技選手権大会の1500mで館澤亨次選手で優勝して日本一に、
ハーフマラソンでは湯澤舜選手が日本人でトップの2位になるなど、入賞する選手が続々と出てきています。
出雲駅伝では2017年優勝、2018年3位という成績を収めています。
2018年の箱根駅伝では3位でした。
東海大学駅伝部の監督を約8年間努め、しっかりと結果を残している両角速監督は、
決して無能なんかではないと思います。
両角速監督の佐久長聖高校時代の活躍がすごかったそうなのですが、
どういった活躍をされたのでしょうか?
両角速監督の佐久長聖高校での駅伝部監督時代とは?
両角速監督が長野県の佐久長聖高校に赴任したのは、1995年。
両角速監督が28歳だのときですね。
就任早々、学校長から
「5年以内に都大路(全国高校駅伝)に出場してくれ!」
と懇願されたそうです。
しかし、当時佐久長聖高校の駅伝部員はたったの2人!
5年以内に全国高校駅伝に出てくれとはあまりにも無茶ぶりですよね。
それでも、両角監督は、可能な限りで全国各地の中学生の大会に足を運び、熱心にスカウト活動を行ってきました。
年齢も若く、気力、体力に満ちあふれ、全国行脚も苦ではなかったのかもしれません。
その地道な努力が実を結び、就任4年目の1998年に佐久長聖高校は全国高校駅伝に初出場し、いきなり4位入賞。
その後、1998年から2010年まで13年連続で出場し、2008年の優勝を筆頭に、12回も入賞しています。
「5年以内に全国高校駅伝に出場させる」という約束をきっちり果たし、
日本高校記録を更新するランナーを数多く育て、全国高等学校総合体育大会の入賞者も育てています。
両角速監督のおかげで、
佐久長聖高校は箱根駅伝や日本インカレ、世界陸上競技選手権大会といった大会出場選手の出身高校として知られるようになりました。
この監督しての実力が買われて、東海大学駅伝部の監督に抜擢されたのですね。
実は、両角速監督自身、東海大学駅伝部の出身なんです。
両角速監督の東海大学駅伝部時代の活躍は?
両角速監督の出身は、長野県茅野市。
幼少期からスポーツが得意で、小学校の頃にはすでに体育教師になる夢を持っていました。
長野県茅野市にある東海大学三高から東海大学。
東海大学駅伝部時代には、箱根駅伝に4年連続で出場されています。
自身も東海大学の選手として、箱根駅伝に出場されていたのですね。
4年連続出場とはすごいです!
大学卒業後、社会人でも競技を続け、日産自動車、ダイエーなどで活躍し、オリンピックを目指した時期もありました。
残念ながらオリンピック出場の夢はかないませんでしたが、選手としての実績は十分。
監督としての指導にも説得力が伴っているはずです。
両角速監督の奥さんはスケート選手だという噂があるのですが、本当なのでしょうか?
両角速監督(東海大)の嫁はどんな人?スケート選手って本当?
両角速監督の嫁(奥さん)はどんな人なのでしょうか?
両角速監督の妻・貴子さんは、両角速監督の1学年下で、同郷の長野県出身。
スピードスケートで全国大会出場経験を持ちます。
スケート選手だという噂は本当だったのですね。
両角速監督がの東海大学駅伝部の監督に就任した時には、
「嫁は長野で育ったから納得してない」
と話していたんだそう。
両角速監督も奥さんも長野出身で、ずっと長野で生活してきたので、
東京にある東海大学に行くことには最初ためらいがあったのかもしれませんね。
両角速監督には息子さんがいるのですが、息子も含めて両角家はスポーツ一家なんです。
両角速監督(東海大)の息子は2人?現在アスリート?
両角速監督には2人の息子がいます。
長男の両角駿(しゅん)さんは、東海大学出身。
父・両角速監督が率いる東海大駅伝部に所属していましたが、
怪我に悩まされ目立った成績を残せず、卒業後は競技から引退しました。
現在は、東海大駅伝部のコーチを務めています。
父と同じ環境下での指導に当たるということは、
父を尊敬し、敬愛している何よりの証かもしれませんね。
両角速監督の次男、両角優(まさる)さんは野球に励み、佐久長聖高校3年時の2014年夏に甲子園も出場されています。
投手として甲子園のマウンドにも立ちました。
しかも、その内容が秀逸で、1回戦の東海大甲府戦(山梨)で7回から2番手で救援。
3回無安打無失点、5奪三振の快投。
佐久長聖高校12年ぶりの甲子園勝利に貢献しました。
183センチの長身、140キロ近いストレートがスカウトからも評価され、ドラフト候補の呼び声もありましたが、立教大学に進学。
立教大学最終学年となる4年生の2018年は「投手コーチ」を務めています
レベルの高い選手が全国から集まるだけに、出場機会に恵まれず、“裏方”に回ることを余儀なくされたのかもしれません。
来春の卒業後の進路が気になるところですね。
両角速監督は2人の息子も陸上選手、野球選手として活躍されたすごい人達だということが分かりました。
陸上選手の父とスケート選手の母の血をしっかり受け継いでいるのですね!
両角速監督の東海大学での指導法とはどのようなものなのでしょうか?
両角速監督の東海大学での指導法とは?
両角速監督の東海大学での指導法とは、規律をすごく重視するかなり厳しいもののようです。
また、スピードをかなり重要視しています。
「駅伝がすべて」という考え方ではなく、
「駅伝はトラック競技やマラソンに出るための通過点」という考えを持っているんだとか。
だから、駅伝だけでなく、
1500メートルやハーフマラソンで日本人1位の記録を出す選手が育っていくのですね!
両角速監督は過去に、本も出しているそうなのですが、
どんな書籍なのでしょうか?
両角速監督(東海大)の書籍(本)とはどういうもの?
両角速監督は、2011年2月に『「人間力」で闘う』という本を出版されています。
この書籍『「人間力」で闘う』には、
ないない尽くしだった佐久長聖高駅伝部が名門校へ成長していく過程が記されています。
また、両角速監督と選手との出会い、強さの秘密、駅伝競技の楽しみ方などが凝縮されています。
佐久長聖高校の監督就任時は、ランニングコースを作るため、石拾いから始めたといいます。
指導者には、とてもためになる本のようで、レビュー評価も高いです。
両角速監督は、2018年にマラソン日本新記録を打ち出した大迫傑選手を指導したという噂があるのですが、本当なのでしょうか?
両角速監督は佐久長聖高校で大迫傑を指導したって本当?
2018年10月7日シカゴマラソンで3位に入り、2時間5分50秒で日本新記録を更新した大迫傑選手。
過去に両角速監督が大迫傑選手を指導したというのは本当なのでしょうか?
大迫傑選手は東京都出身ですが、2007年に長野県の佐久長聖高校に進学。
大迫傑選手が佐久長聖高校に在学していたのは2007~2009年なので、両角速監督の
指導を受けています。
両角速監督は、地元・信濃毎日新聞のインタビューで大迫選手の高校時代を、
「とにかく負けず嫌いで、勝利への思いが強かった」
と振り返っています。
全国高校駅伝の初優勝を飾った2008年は、当時2年生の大迫傑選手を最終7区で起用。
全幅の信頼を置いていたことが分かりますね。
そもそも東京出身の大迫傑選手をスカウトしたのが、両角速監督なんです。
2人の“出会い”は2006年の全国中学大会3000メートル決勝。
視察に訪れた両角速監督は、23位でゴール後、履いていたシューズを脱いで地面にたたきつけて悔しがる大迫傑選手の姿が印象的だったと言います。
「普通の中学生は全国で3番に入れば喜ぶ。こんなに競技に懸けている子がいるんだと思った」
と、両角速監督は1、2位の選手ではなく3位の大迫選手の獲得に動きました。
大迫傑選手の先天的な強い気持ちに、両角速監督の高校3年間の指導で走力が鍛えられ、マラソン日本記録樹立の礎が着々と築かれていったと言えるでしょう。
両角速監督率いる東海大学の、2019年箱根駅伝の結果はどうだったのでしょうか?
【追記】東海大学が箱根駅伝2019で総合優勝!大会新記録更新
両角速監督率いる東海大学が、2019年箱根駅伝で総合優勝を勝ち取りました!
往路では3位となった東海大学でしたが、
復路で見事トップに躍り出て、1位でゴールテープをきることができました。
しかも記録は、「10:52:09」と大会新記録!
すごいですね。
2019年箱根駅伝に出場した東海大学の選手は、
【往路】
- 1区:鬼塚翔太(3年)
- 2区:湯澤舜(4年)
- 3区:西川雄一朗(3年)
- 4区:館澤亨次(4年)
- 5区:西田壮志(2年)
【復路】
- 6区:中島怜利(3年)
- 7区:阪口竜平(3年)
- 8区:小松陽平(3年)
- 9区:湊谷春紀(4年)
- 10区:郡司陽大(3年)
です。
鬼塚翔太選手についてはこちらに詳しくまとめています
両角速監督は、2019年箱根駅伝のために、17kg減量したそうです。
それは優勝して胴上げをしてもらうため。
見事に監督の想いが実現しました!
東海大学が箱根駅伝で優勝したのはこれが初めてになります。
両角速監督も8年間監督を務めてきた集大成になったのではないでしょうか?
【追記】箱根駅伝2019で東海大学総合優勝:両角速監督インタビュー内容は?
2019年箱根駅伝で総合優勝した東海大学。
優勝インタビューで両角速監督は、
「信じられないような気持でもあるけど、本当に嬉しい。
選手一人一人が自分のやってきたことに自信を持って、それをきちんと発揮できたということに尽きると思う。」
と答えていました。
また、「胴上げのために17kg減量した」ということについては、
「健康のためなんですけどね」と笑いつつも、
「胴上げはすごく嬉しくて夢のようだった」
と語っていました。
本当に良かったですね。
両角速プロフィール
■名前:両角速(もろずみはやし)
■生年月日:1966年7月5日
■出身地:長野県茅野市出身
両角速監督(東海大)が無能なのはなぜ?すごい息子や嫁も気になる!まとめ
東海大学駅伝部監督の両角速は東海大学駅伝部を約8年間努め、
駅伝だけではなく1500メートルやハーフマラソンで優秀な成績を収める選手を次々に育てるすごい監督であることが分かりました。
両角速監督の奥さんは元スケート選手。
2人の息子さんは陸上選手、野球選手として結果を出してきたスポーツ選手です。
スポーツ一家なんですね。
両角速監督の指導のもと、東海大学駅伝部が2019年どんな活躍をみせてくれるのか楽しみです!
◆こちらの記事もよく読まれています◆
↓クリック
酒井俊幸はドSで厳しいイケメン監督?嫁のかわいい画像も調査!>>
大八木弘明監督(駒沢大)のパワハラ騒動とは?嫁や子供も気になる!>>
鬼塚翔太は弟がいて兄弟で陸上選手?彼女やシューズ、茶髪でハーフの噂も調査!>>
關颯人(せきはやと)は兄弟で陸上選手って本当?過去の怪我や彼女についても>>
小松陽平の(東海大)の出身中学高校は?嫌いと言われる理由も>>