日本ハムの人気選手である斎藤佑樹投手が引退会見をしたとのこと、本当でしょうか。
また、活躍している様子も伝わってきませんが、斎藤佑樹投手の年俸推移や成績も気になるところです。
そこで、斎藤佑樹投手の引退会見や年俸推移、そして成績、2019年シーズンの状況について調査してみました。
目次
斎藤佑樹は引退会見したことがある?いつでどうして?
それは、2017年シーズンオフのことでした。
「引退会見」をしたという情報についてはわかりませんが、親しい仲間内で、斎藤投手は引退を口にしたそうです。
本当ならば、メジャーの大投手となった田中将大投手と今でもライバルとして投げ合っていてもおかしくはなかった「ハンカチ王子」こと斎藤投手が、引退を口にしたのです。
この年、わずかに1勝(3敗)、通算でも僅か14勝(20敗)という成績に留まっていました。
この成績では、引退を考えるのも無理はありません。
2010年ドラフト1位選手としてのプライドも崩壊してしまったのでしょうか。
それでも、斎藤投手に対して想いを強くする人々が引退の決意を翻意させ、結局思いとどまることになります。
斎藤佑樹選手の年俸推移はどのくらいなのでしょうか?
斎藤佑樹の年俸推移は?もらいすぎなの?
プロ野球選手としての年俸は毎年一回、シーズン終了後に契約更改が行われます。
斎藤投手も日本ハムの選手として契約更改するわけですが、以下がこれまでの年俸の推移です。
■2011年:1,500万円(2010年 ドラフト1位)
■2012年:3,000万円(2011年成績 6勝6敗、防御率2.69、投球回数107)
■2013年:3,500万円(2012年成績 5勝8敗、防御率3.98、投球回数104)
■2014年:2,800万円(2013年成績 0勝1敗、防御率13.50、投球回数4)
■2015年:2,500万円(2014年成績 2勝1敗、防御率4.85、投球回数26)
■2016年:2,300万円(2015年成績 1勝3敗、防御率5.74、投球回数42.1)
■2017年:2,000万円(2016年成績 0勝1敗、防御率4.56、投球回数23.2)
■2018年:1,830万円(2017年成績 1勝3敗、防御率6.75、投球回数28)
■2019年:1,600万円(2018年成績 0勝1敗、防御率7.27、投球回数8.2)
確かに、一般からすれば、プロ野球選手の年俸は羨ましいものですが、斎藤投手の場合は、どう評価すればよいのでしょうか。
通算15勝にとどまっており、直近の防御率・投球回数をみても高いように見えます。
しかし、この記事を書くにあたり、日ハムの投手陣のなかでプロ入りの時期が近く、同様の成績の選手について確認するため、千葉ロッテから2018年途中で移籍してきた藤岡投手を参考に考えてみました。
藤岡投手も、大卒で2011年のドラフト1位で千葉ロッテに入団、2018年シーズンの成績は、4試合に登板、0勝2敗で防御率6.52という成績であり、2019年の契約では2,900万円となっています。
貴重な左腕であり、前期の3,400万円という年俸が考慮されているのもあるとは思います。
単純な比較は難しいのですが、こういった数字を見ると1,600万円は高いとは言えないでしょう。
また、他の選手にはない斎藤投手ならではのチームへの貢献もこの1,600万円の査定には含まれているかもしれません。
高校大学時代の活躍は色あせず、さわやかなルックスにも陰りがなく、球団としても、斎藤待望論は継続しているのです。
斎藤佑樹選手の成績はどんな感じなのでしょうか?
斎藤佑樹の成績は?2019年の活躍はどう?
斎藤投手の成績は、上掲したとおり、勝ち星・防御率ともにルーキーイヤーの2011年の6勝、2.69が最高であり、ここ数年は、1勝できるかどうかというように低迷しています。
2019年シーズンも開幕し一月が経過した訳ですが、ここまで4試合、5回3分の2に登板。
0勝1敗、防御率4.76と微妙な成績です。
それでも、活路が無い訳ではないようです。
現在、アメリカのメジャーでは、「オープナー」という先発投手の起用法が登場しています。
メジャーの中継を見ていると、先発投手陣を「スターター」という表現で紹介していますが、この「スターター」は、当然先発して既定の投球数を投げ、先発完投または、勝利投手の権利を得たうえで中継ぎ陣にその後を託すというのが一般的です。
一方の「オープナー」というのは、もともとの先発投手ではなく、通常、「セットアッパー」と呼ばれる中継ぎ投手が、先発ローテーションの谷間に先発して、打者一巡程度を投げてマウンドを降りるというタイプの先発投手なんだそうです。
斎藤投手の場合も、相手打線の2巡目に捕まることが多いことから、「オープナー」として1巡目だけを抑える役割を与えようと、日ハム首脳陣が考えているらしいのです。
こうなると、勝ちはつかなくなり、個人の記録として勝利数は増えませんが、チームに貢献したいという斎藤投手の想いを遂げることは可能となり、投球回数も増えることでしょう。
そして、オープナーとして実績が残せれば、再び「スターター」としての斎藤投手の復活もあり得るかもしれません。
2019年シーズンの終了時、斎藤投手の立場がどうなっているか注目です。
斎藤佑樹選手は成績が振るわなくても戦力外通告をされることがありません。
なぜなのでしょうか?
斎藤佑樹が戦力外にならない理由は?
斎藤佑樹選手が戦力外にならない理由は、偏に、学生時代の自分に助けられていると言えるのではないでしょうか。
コアな野球ファンからは、見切りをつけられていようとも、甲子園や神宮でみせた力投に、甘いマスクとマウンド上でハンカチで汗をぬぐうという上品な行為は、時を経てもなお女性の心を掴んで放しません。
成績は振るわなくとも、グッズの売り上げでは常に上位をキープしているようです。
こんな選手を切ってしまっては、球団側に非難が集中してしまうでしょう。
であるが故に、球団としては、遅咲きでも構わないから、なんとしてでも斎藤投手の活躍を渇望していることと思います。
斎藤佑樹選手に対する世間の反応はどんな感じなのでしょうか?
斎藤佑樹に対する世間やネットの反応は?
ここまで、低迷が続くとさすがに厳しい意見が多くみられます。
プロの世界では実力がなく、もう辞めて然るべきという論調が多いです。
さらには、厚かましいなどという意見も見受けられます。
この厚かましいという意見に対しては、上掲したように2017年に引退を口にした時期があることから、ここまでいうのはどうかという気がしますね。
一方で、斎藤投手擁護論も健在です。
ただ、擁護論といっても、続けるべきということではなく、大学を経由せずに高卒後プロに直接進んでいれば、といった意見が多いようです。
私もこちらには賛同です。
あの田中将大投手との投げ合いを見れば、実力がないなどという評価には疑問を持ちます。
斎藤佑樹選手の出身中学・高校はどこなのでしょうか?
斎藤佑樹の出身中学・高校・大学はどこ?
野球だけでなく、勉強のほうも優秀ということであり、中学時代から早実ではないかと勝手に思っていたのですが、
斎藤投手は群馬県太田市の出身であり、中学は地元の太田市立生品中学校に通っていたそうです。
高校は、もちろん、周知のとおり、早実(早稲田実業学校高等部)にスポーツ推薦で進学しました。
実は、中学の先生には、早実に行っても甲子園に出場できるかはわからず反対されたとのことでした。
しかし、中学3年のとき、東京六大学野球の早慶戦を観戦した際、早実に進み、その後早大に行きたいと思うようになり、スポーツ推薦での合格を勝ち取りました。
早実での甲子園の活躍もあり、一気にドラフト候補と目されましたが、当初の意思が固く、そのまま早稲田大学(教育学部)に進学しました。
甲子園や神宮球場での活躍、そして、早稲田大学卒という肩書を手に入れ、まさに文武両道を達成したわけです。
斎藤佑樹選手は結婚しているのでしょうか?
斎藤佑樹は結婚してる?彼女は?
アラサーを迎えており、佑ちゃんファンもそうでない方も、斎藤投手の結婚には興味があるでしょう。
とりあえず、結婚はまだしていないようです。
しかし、成績はともかく、イケメンのプロ野球選手である斎藤投手。
これまで、様々な美女たちとの噂が絶えませんでした。
その名前たるや、女優陣では深田恭子さん、北川景子さん、アナウンサーの宇賀なつみさんなど、男性であれば誰もがうらやましがるような錚々たるメンバーです。
特に北川景子さんの場合、北川さんの方が本気になっていたらしく、公表をせがんでいたらしいのですが、斎藤投手の方が引いてしまったのでしょうか。
こちらもクリックして読む>>斎藤佑樹は結婚してる?彼女遍歴について詳しく!>>
最近では、美人の一般女性とのデパ地下で買い物中の写真がフライデーされてしまったとのことです。
こちらの彼女とは別れたという噂もありますが、斎藤佑樹選手がモテるということは間違いないようですね。
次は斎藤佑樹選手の活動経歴についてです。
斎藤佑樹の活動経歴
小学校1年のとき、地元の生品チャンピオンズに入り、斎藤投手の本格的な野球人生がスタートします。
中学生時代には、生品中学校の軟式野球部に入部、群馬県大会で準優勝、さらに関東大会でベスト8に進出しています。
また、昨今はプロ野球選手を目標とする場合、中学の(軟式)野球部ではなく、硬式シニア、ボーイズリーグを経験して、高校野球へ進むのが一般的になっています。
齋藤投手の場合、中学の軟式野球部出身ですが、すぐに硬式に慣れているのはすごいと思います。
もはや、ここに記すべくもないのですが、高校時代の活躍は皆さんがご存知のとおりです。
でも、一応触れておきましょう。
2004年、一年生でベンチ入りを果たします。早実野球部ともなれば、上級生でもベンチ入りできない選手も多くいると思います。そんな中で、背番号を獲得するのは、やはり並ではありません。
2005年、二年夏には、先輩の高屋敷選手からエースの座を奪い、西東京大会ベスト4入りの原動力となります。
ただし、まだ、全国区の投手として注目されてはいませんでした。
当時の斎藤投手関連のネット記事には、初戦で実力校である拓大一高と対戦し、勝利したものの、コールド勝ちを意識した斎藤投手が突如崩れ、高屋敷投手のリリーフを仰いだこと、そして、変化球は多彩であるもののストレートは130km後半にとどまっており、実力の片りんはみせているものの未完であったことを裏付けるような内容の記載がありました。
結局、この大会では、準決勝で本命の日大三高に大差で敗れ甲子園出場を逃します。
しかし、この同地区のライバル校である日大三高に敗れたことで、打倒日大三高こそが甲子園への道につながること、そして、いかにして日大三高に勝つかに主眼がおかれることになりました。
そして、外角中心の精密なコントロールとそれを活かすための適度な内角への配球を身に着け、さらにマウンド上での落ち着きを意識したセルフコントロールを大事にすることにも注意を払うようになりました。
迎えた同年の秋季都大会では、夏の雪辱を晴らし、準決勝で宿敵日大三高を零封、決勝では東海大菅生を4-3で破り優勝を果たし、センバツ出場を確実なものとしました。
2006年、早実はセンバツでベスト8に進出し、早実としては、あの荒木大輔選手(現日本ハム2軍監督)以来の「斎藤佑樹」というスター選手が誕生しました。
準々決勝では、この大会で優勝した横浜高校と対戦し、3-13と大敗を喫しており、齋藤投手も計6回を投げ、被安打8、失点6(自責点3)と横浜高打線につかまっています。
そして、ついに誰もが知るあの夏がやってきます。
全国制覇を果たした早実ではありましたが、それでも、甲子園への道は厳しいものでした。
特に西東京のライバルであり、4年連続出場を狙う宿敵日大三高との決勝戦は、延長11回に及び5-4でサヨナラ勝ちという紙一重の勝利でした。
西東京大会の激闘を制し、2006年夏、マウンド上でポーカーフェイスを装い、品よくハンカチで汗を拭うイケメン斎藤投手の姿に世の中の注目が集まります。
2回戦で中田翔選手擁する大阪桐蔭を11-2と圧倒すると、順当に決勝までコマを進め、決勝では、あの田中将大投手擁し、夏連覇のかかった駒大苫小牧と対戦します。
両者譲らず延長15回で決着がつかずに、再試合に突入します。
再試合でも、先発した斎藤投手はこの試合も力投をみせ、3失点完投、最後はライバル田中選手を三振に仕留め、4-3のスコアで雌雄を決しました。
世界のホームラン王、王貞治選手、そして、5期連続で甲子園に出場した荒木大輔選手をもってしても夏の甲子園で優勝できなかった早実でしたが、見事に夏、初めての全国制覇を成し遂げました。
結局、この大会で69イニング948球を投じましたが、この記録は大会最多として現在も破られていません。
優勝投手である斎藤投手の動向に注目が集まりましたが、当初の意思どおり、プロではなく早大に進学しました。
この斎藤投手の選択は、東京六大学野球の人気を再び高めることに貢献します。
通常放送される早慶戦以外にも、対東大戦も中継されたようです。
また、神宮球場での入場者もかなり多くなったようですね。
大学時代の通算成績は、31勝(15敗)を挙げ、323奪三振を記録しています。
そして、迎えたドラフトでは日本ハム他4球団から1位指名を受け、抽選で日本ハムが交渉権を得、そのまま日本ハムに入団することになります。
入団直後の2011年のシーズンこそ、6勝(6敗)とまずまずの成績を収め、球団として期待した2年目は栄誉ある開幕投手を務めましたが、その後怪我もあり振るわず、また、中田翔選手や大谷翔平選手など人気選手の入団もあり斎藤投手の注目度も、下降の一途をたどりました。
ここ数年は、自らも一度引退に言及するなど、その去就に注目が集まっています。
しかし、かつてのライバルであり、投げ勝った田中投手がメジャーで活躍することを横目で見ながら、自らの立ち位置を必死で見つけようとする斎藤投手を応援する気持ちを抑えることはできません。
年齢的にもあと数年だと思いますが、打者を抑えてマウンド上で笑顔を見せる斎藤投手を一試合でも多く見たいものですね。
斎藤佑樹プロフィール
■名前:斎藤佑樹
■出身:群馬県太田市
■身長:176cm
■体重:74kg
■学歴
群馬県太田市立生品中学校
早稲田実業学校高等部
早稲田大学教育学部
■所属:北海道日本ハムファイターズ
斎藤佑樹の引退会見はいつ?年俸推移や成績2019も気になる!まとめ
2006年夏の甲子園決勝で、2試合に及ぶ田中将大投手との投げ合いを制し、一気にスターの地位を獲得し、その将来を嘱望された斎藤佑樹投手。
高校卒業後、早稲田大学に進学し、東京六大学のスターとしても活躍しました。
当然、ドラフトの目玉として4球団から指名を受け、日本ハムに入団しましたが、これまで期待どおりの活躍ができずに、2017年、自ら引退を公言することもありました。
結局、周囲の反対もあり引退を思いとどまりましたが、厳しい状況に変わりありません。
それでも、あの夏のハンカチ王子を見た私たちは、まだ斎藤投手の復活をあきらめません。
今シーズンこそ、涼しげなポーカーフェイスを見せながら、マウンドで躍動する斎藤投手を見たいですね!
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